参考文献:Wikipedia
岐阜県の西部、濃尾平野の西北端に位置し、揖斐郡に属する町
揖斐川と根尾川の合流地域に位置し、東、西、南で川に囲まれている。
現在の大野町の名は、かつての大野郡のほぼ中央に位置するということ1897年(明治30年)に誕生した大野村に由来する。それ以前にも大野郡には大野村という村が存在していたが、1889年(明治22年)の合併で豊木村となり、昭和の大合併で大野町に合併している。現在の地名の大野町大野が、かつての大野郡大野村である。
北海道渡島支庁中部にあった町。
北海道の水田発祥の地である。 町名の由来は以下の複数の説がある。 かつてこの地が広い野原だったことに由来 この地への移住者の郷土名(福井県大野市) アイヌ語の「オンネ」(大きい方の意)より 2006年2月1日、上磯町・大野町で合併して市制施行し、北斗市となった。なお、大野町役場は北斗市の分庁舎となっている。 北海道新幹線開通時には、渡島大野駅が新函館駅と改名し、北海道新幹線の停車駅となる予定。新幹線開業に向けて、駅付近の開発が計画・進行中である。
渡島管内中部に位置。南部は平野で、北部は山岳。 町を南東から北西にかけて大野川、国道227号が縦断する。
基幹産業は農業(稲作、畑作)。北海道の水田発祥の地で、1685年から稲作が行われている記録がある。
神奈川県大住郡・中郡に存在した町。現在の平塚市北東部の相模川西岸、国道129号沿いに位置した。本項では町制前の大野村(おおのむら)についても記す。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、真土村、中原上宿村、中原下宿村、四之宮村、八幡村、南原村および平塚駅飛地が合併して大住郡大野村が発足。 1896年(明治29年)3月26日 - 郡制の施行のため大住郡が淘綾郡と統合され、所属郡が中郡に変更。 1944年(昭和19年)2月11日 - 町制施行。 1956年(昭和31年) 4月1日 - 豊田村を編入。 9月30日 - 平塚市に編入。同日大野町廃止。
石川県石川郡に存在した町。 1935年(昭和10年)に金沢市に編入合併してからは金沢市の町名となり現在に至る。なお、本項では現在の金沢市大野町についても記述する。
現在の金沢市北西部に位置しており、大野川河口の地域で日本海に面する港町である。西隣に隣接している宮腰(現在の金石地区)とともに北前船の寄港地で繁栄した地域であった。 元和年間に直江屋伊兵衛によって始められた醤油の生産地として知られる町で、江戸時代の醤油五大生産地(銚子、野田、小豆島、竜野)でもある。 金沢市編入前の大野町は11の大字に分かれていたが、編入後は大野町が町名として継承された。また、編入後に11の町名は大野町1丁目から7丁目に再編された。
愛知県八名郡にかつて存在した町である。 豊川の支流宇連川の左岸を町の範囲とした。1889年(明治22年)の町村制施行により大野村として発足、1892年(明治25年)に町制を施行し大野町となったが、1956年(昭和31年)に周囲の自治体と合併して鳳来町の一部となり、消滅した。2005年(平成17年)に鳳来町が新城市に編入されたため、現在では同市の一部である。 鳳来寺と秋葉山本宮秋葉神社を結ぶ秋葉街道と、豊橋と別所を結ぶ別所街道が交差する宿場として栄え、明治時代には養蚕の集散地、昭和戦前までは大野銀行(三菱東京UFJ銀行の前身の一つ)を背景に東三河の金融の中心地としても発展した。現在も古い町並みが残る。
町は宇連川の左岸に位置する。つまり、町の西端を宇連川が流れていた。川の対岸は北設楽郡長篠村の富栄に相当する。宇連川左岸を南へ向かうと舟着村、北へ向かうと七郷村井代であり、町内で宇連川に合流する阿寺川沿いを東へ向かうと山吉田村下吉田の阿寺地区、真立川沿いを東へ向かうと七郷村睦平となる。
愛知県知多郡にかつて存在した町。 現在の常滑市北部に該当する。 伊勢湾沿いの町であり、大野海水浴場は古くからの潮湯治の場であり、一説では日本最古[1]の海水浴場という。
平安時代頃、大野谷[2]には「大野庄」[3]という荘園が存在した。 1350年(観応元年[4]) - 一色範光が大野城築く。大野庄は伊勢湾の海運で栄える。 戦国時代、この地域は佐治氏が支配していた。 江戸時代、この地域は尾張藩領であった。 1878年(明治11年)12月28日 - 大野村、榎戸村、西之口村、蒲池村が合併し、大野村となる。 1883年(明治16年) - 大野村が大野村、榎戸村、西ノ口村、蒲池村[5]に分離する。 1889年(明治22年)10月1日 - 大野村が町制施行。大野町となる。 1954年(昭和29年)4月1日 - 常滑町、大野町、西浦町、鬼崎町、三和村が合併し市制施行。常滑市となる。
かつて広島県佐伯郡に存在した町である。2005年11月3日、大野瀬戸を隔てて隣接する佐伯郡宮島町とともに廿日市市へ編入された。
1889年4月1日 - 市町村制施行。大野町域には当時佐伯郡大野村だけが存在した。以来116年間廃置分合を経験せず、単独村政 → 町制を貫いた。 1950年4月1日 - 大野村が町制施行して大野町となる。 1983年6月1日 - 鳴川地区の一部を大竹市に割譲し、大竹市から玖波町鳴川・玖波3丁目の一部を編入する。 1985年4月1日 - 福面地区の一部を佐伯郡廿日市町(当時)に割譲し、佐伯郡廿日市町から地御前字阿品及び阿品台の一部を編入する。 2005年11月3日 - 大野瀬戸を隔てて隣接する佐伯郡宮島町とともに廿日市市へ編入され消滅する。また、この合併をもって佐伯郡も消滅した。
海面ではカキの養殖が行われている。 その他の漁業としてアサリの養殖も有名。 チチヤス乳業の本社所在地でもある。フマキラー広島工場があり、同社製品の多くはここで製造される。
大分県大野郡に位置し、沈堕の滝やぼたん桜等で知られていた町である。 2005年3月31日に大野郡三重町・清川村・緒方町・朝地町・千歳村・犬飼町と合併し豊後大野市となったため、自治体としては消滅した。
1928年(昭和3年) - 東大野村が町制を施行し、大野町となる。 1966年(昭和41年) - 旧役場庁舎(現支所庁舎)(鉄筋3階建、延1,278.94m2)が完成する。 1968年(昭和43年) - 町のシンボルマークの町章が制定される。 1981年(昭和56年) - ナウマンゾウの化石(3万年前のものと推定)が酒井寺地区で発掘される。 1992年(平成4年) - 「豊肥地区農道離着陸場」(現大分県央飛行場)が開港する。 2000年(平成12年) - 第51回全国植樹祭が藤北地区で開催される。 2005年(平成17年) - 大野町閉町式が行われ、77年の歴史に幕を下ろす。
千葉県市川市にある地名。一丁目から四丁目まである。
市川市北部に位置する。地域内は住宅街となっている一方、北東部に位置する四丁目では緑も多く残り、市川霊園や大町自然公園がある。地域の中央をJR武蔵野線が通り、市川大野駅がある。また、市川市で数少ない住居表示未施行地域である。 二丁目に市立大柏小学校、三丁目に市立第五中学校、本光寺、市川大野郵便局、四丁目に県立市川北高等学校、市川霊園がある。 東は鎌ケ谷市中沢、西は松戸市高塚新田、南は下貝塚・南大野・柏井町、北は大町と接している。
千葉県市川市にある地名。一丁目から四丁目まである。
小野町(おのまち)は、福島県中通りの町。田村郡に属する。小野小町の生誕伝説がある町として知られる。
阿武隈高地の南部に位置し、周辺の商業集積地になっている。太平洋に向かって流れる夏井川に沿って、福島県の中通りから、浜通りへの交通が開ける。
1889年(明治22年) - 飯豊村、小野新町村、夏井村が誕生。 1896年(明治29年)7月1日 - 小野新町村が、小野新町となる。 1955年(昭和30年)2月1日 - 小野新町、飯豊村、夏井村が合併し、小野町誕生。
兵庫県小野市下来住(しもきし)町字中前にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)加古川線の駅である。
西脇市方面に向かって右側に、単式1面1線のホームを持つ地上駅(停留所)になっている。以前は相対式2面2線だったが、片側は撤去された。棒線駅のため、西脇市方面行きと加古川方面行きが同一ホームに停車する。 電化に伴い駅舎が改築され、コミュニティーセンターとそば屋(水曜日定休)が同居する建物になった。加古川駅管理の無人駅で、自動券売機が設置されている。便所は、かつては男女共用の汲取式であったが、電化にともなう駅舎改築で男女別水洗化され、身障者・オストメイト対応の多目的便所(コミュニティーセンターとともに駅管理の関係で7時 - 19時の間利用可で、それ以外の時間帯は施錠されている)も設置された。
日中時間帯は1時間あたり1本が停車する。第4土曜日は5時間ほど停車設定がなったが、平成23年度より改善されている。 そろばんで有名な小野市の中心街とは、加古川をはさんで約2km離れている。駅周辺は少々寂しい。 2008年度の1日あたりの乗車人員は314人である(兵庫県統計書より)。